インドへの旅

 

帰国後、インド国鉄の研究所所長になった彼は、5年後に私の妹である秀子を、翌年(1968年)私を、インドに呼び寄せました。当時、一般国民は500ドル(1ドル=360円)しか国外へ持ち出すことができませんでしたから、客船の船底で1ヶ月かけてインドに渡りました。当時、私はすでに建築設計事務所に所属し、仕事をこなしておりました。

 

インドを北から南へ3ヶ月。一日一ドルの旅に自信を得た私は、スエズ運河動乱のさなか、アフリカ喜望峰周りで船旅1ヶ月、マルセーユに着きました。パリのJETRO駐在員の友人の所までたどり着き、出国前に日本在住の奥様に振り込んでおいた10万円の控えを見せて、友人から10万円分のフラン(米ドルにして277ドル)を貰って、EU13ヶ国をはじめポルトガル、スウェーデン、オーストリアと3ヶ月をかけて歩きました。

 

同じく、ロサンゼルスJETROの友人を目指してイギリス、アメリカに渡り、アメリカ滞在3ヶ月後にハワイ経由で日本に帰国しました。帰国したのは日本を出発してから1年が過ぎていました。これも、兄のようなインド人が励まし続けてくれた成果でした。

 

 

Microsoft Word - 一般社団法人岡本記念日印交流友の会入会申込書.
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